源満季後裔諸氏族系図

 

出   自       清和源氏源経基
派生氏族       高屋氏族
派生姓氏       小原・岸本・岸下・平井・栗田・栗太・小椋・山田・和南・梅林
山上・大町・御園・林田・石塔・森・米井・米内・坂東・奥・
樋口・河曲・柳・和田(以上近江国)
越前・三河(以上国司由来)

 

 
満季流の人々が本拠を近江国から他へ移すというようなことは、ついになかった。 下野・筑前・但馬・越前・武蔵・伊豆などの諸国の国司に任官したことは多かったが、いずれも任が終わるや近江国の本拠に戻ってきたのである。 近江国の本拠は、高屋荘、岸本荘・栗太郡・余呉荘などである。 終始、近江国内にいたということが示すように、決して攻撃的ないし発展的な家系ではなかった。 京都政権および鎌倉・室町の両武家政権に対しても、経に均等の距離を置いていたのである。 京都政権においては、多くの場合、大膳大夫・兵庫允・修理小進など、中下級職の官人として仕えた。 ときには皇后宮侍長・蔵人・治部丞などに任じられることもあった。 位階としては、だいたい従五位下から従四位上あたりまでの官職である。
一方、幕府の御家人だったことも事実である。 しかし、幕閣における政争や陰謀に参画することはもちろん、巻き添えになることもなかった。 とにかく温和な家系だったのである。わずかに柳氏流の小椋次郎景房と河曲源三頼行とが、歴史の表面に少しだけ名を残している。 前者は承久三年(1221年)の尾張河合戦で京方として戦死。 後者は丈和二年(1353年)、楠正儀・山名時氏ら南軍の入京に抵抗して戦死したのである。
 
源満季後裔略系図
満季 -- 致公 -- 致任 -- 定俊 -- 成貞
|- 成実 -- 尊知
|- 為経 -- 光頼 -- 為良
| L 為貞 -- 為房 -- 実遠 -- 親実
| |- 定遠
| |- 景実
| L 景遠
|- 季信 -- 忠満 -- 頼盛
| |- 高行 -- 清頼
| L 頼康 -- 通定
|- 忠政
L 忠尊

 

経基王後裔諸氏族