(清和源氏)源頼季流系図

 

出   自       清和源氏源頼信
氏   祖       源頼季
派生氏族       井上氏族
派生姓氏       乙葉(近江国)
高梨(出羽国)
井上・時田・桑洞・小坂・窪・久保・米持・佐久
村上・葦田・芳美・須田・高梨・赤井・山口・保科
窪田・藤井・仲沢・上林(以上信濃国)

 

 
【系譜】
頼信の三男頼季は、近江国音羽荘に本拠を置いて、音羽を転じて乙葉三郎と名乗った。 従五位下掃部助を極位極官として官途を致仕し、出家して乙葉入道行増と号したが、晩年に信濃国井上荘に下って井上三郎と称した。 その嫡男井上三郎太郎満実は、叔父頼義に従って”前九年の役”(1051〜)に参加し、凱陣後、出羽国高梨柵に由来する地である井上荘高梨郷に移り住んだという。 七男盛光が高梨七郎と称して高梨氏の祖となったのは、父満実の高梨郷を伝領したからであろう。 元暦元年(1184年)七月十日、満実の嫡孫井上太郎光盛は、頼朝の忌諱に触れた甲斐源氏の一条忠頼に与同したとして、 頼朝の命によって駿河国蒲原駅で討たれたということが『吾妻鏡』の記事に見られる。 これによって頼季系の嫡系が断絶したのでこの地位は満実の次男光平の系統に移った。 この系統は井上荘内の時田郷・桑洞郷・小牧郷などを分領したので、全体として井上党という。 この光平の末十代の間は、そのまま井上荘とその周辺を本拠として行動していたが、十一代目の九郎左衛門正貞のときの康正年中(1459〜1457年)、 播磨国福井荘を所領としたことで、本拠をこの地に移した。

それから四代目の井上正信は、織田信長・豊臣秀吉に仕え、その子正俊は池田輝政に仕えたが、さらにその子正継の代に江戸幕府二代目徳川秀忠に仕えている。 以降、この系統は、代々、旗本であった。井上・赤井・山口・須田・保科・窪田などがそれである。 江戸幕府の旗本としては、御従士目付、御畳奉行・御鉄砲奉行・表御右筆・御従士頭・御蔵奉行などを一族から出した井上家があり、 御廊下番・近習番・表御右筆などを出した仲沢家、御茶奉行を代々勤めた上林家などがある。
 
源頼季後裔諸氏族略系図
乙葉 井上
頼季 -- 満実 -- 遠光 -- 光盛
|- 光平 -- -- -- -- -- -- -- 正貞 -- -- -- -- -- 正信 -- 正俊 -- 正継
|- 家光
| 高梨
|- 盛光
|- 重光
L 為家

 

経基王後裔諸氏族     源満仲後裔諸氏族