斯波氏流系図

 

出   自 足利氏族
派生姓氏 斯波・広沢・石橋・吉田・大板・尾張・奥田・津川・大崎・末野・

称斯波氏族 牧・松山・[言野・宇野・馬楯・名生・長野]
大崎氏系 西室・塩松・高清水・高泉・鞍谷・
最上氏系 最上・天童・黒川・高擶・蟹沢・泉出・清水・東根・鷹巣・上山・
中野・大窪・楯岡・長瀞・山野辺・大山・谷地・杉山・
 
 
鎌倉時代、足利義氏の子家氏が陸奥国斯波郡に下り、高水城に拠って斯波氏を称したのが始まりである。 室町時代には足利一門として、細川氏・畠山氏とともに三管領の一つに数えられている。 全盛期には、越前・若狭・越中・遠江・信濃などの守護職を持ち、幕府有数の守護大名家であり、 のち、越前・尾張・遠江三ヵ国の守護を兼ねていた。 ところが、応仁の乱の後、本拠だった越前国は、甲斐氏に代わって守護代となった朝倉氏にとって代わられ、遠江も今川範忠によって蚕食されていった。 これは、九代の義健が子供のないまま享徳元年(1452年)に死んでしまい、一族の斯波持種の子義敏を養子に迎えたが、 義敏は将軍義政の怒りをかって逃走し、その跡を継いだ義良も重臣たちによって追放されてしまい、代わって九州探題渋川義鎮の子義廉が迎えられ、 この義敏・義廉の争いが応仁の乱の一つの契機となったのは周知の通りである。
ところで、遠江を今川氏に越前を朝倉氏に奪われ、わずか尾張一国残るだけとなったわけであるが、その尾張も、 守護代織田氏および織田氏の三家老の一人織田信秀に取って代わられる事態となった。 義健・義統段階は、尾張国清洲城で、守護代の織田氏により推戴されているだけで、さらに、義統の子義銀に至り、 永禄四年(1561年)、清州城を織田信長に奪われ、滅亡していった。 陸奥の戦国大名大崎氏、出羽の最上氏は、高経の弟家兼から始まる分流である。
 
斯波氏流略系図
  足利 斯波  
義家 -- 義国 -- 義康 -- 義兼 -- 義氏 -- 泰氏 -- 家氏  
家氏 -- 宗家 -- 家貞 -- 高経 -- 義将 -- 義重 -- 義淳 == 義郷 -- 義健 == 義敏 -- 義良 (→@)
  |   | |= 義廉  
  |   L 義種 -- 満種 -- 持種 -- 義孝 -- 義縁 == 義信  
  | L 義郷 L 義敏 L 義信  
  | 大崎  
  L 家兼 -- 直持 -- 詮持 -- 満持 -- 満詮 -- 持兼 -- 教兼 -- 政兼 (→大崎氏)
  | 最上  
  L 兼頼 -- 直家 -- 満家 -- 義秋 == 満氏 -- 義淳 -- 義定 (→最上氏)
(@)  
義良 -- 義達 -- 義統 -- 義銀  

 

大崎氏略系図
家兼 -- 直持 -- 詮持 -- 満持 -- 満詮 -- 持兼 -- 教兼 -- 政兼 -- 義兼 -- 高兼 == 義宣
  | [佐竹氏]
  L 義直 -- 義隆 -- 義清

 

最上氏略系図
1   2   3   4
兼頼 -- 直家 -- 満直 -- 満家 -- 頼宗
  |   |   | 5
  |   |   |- 義春
  |   |   | 6   7   8   9   10   11
  |   |   L 義秋 == 満氏 -- 義淳 -- 義定 == 義守 -- 義光 -- 義康
  |   | |   |- 義親(清水)
  |   | |   | 12
  |   | |   |- 家親 -- 義俊  
  |   |- 満基 (中野) |   |- 義忠 (山野辺)
  |   |- 満頼 (大窪) |   |- 光隆 (大山)
  |   L 満国 (楯岡) |   L 義直 (上山)
  | 天童 |- 義時 (中野)
  |- 頼直 -- 頼勝 |- 義保 (長瀞)
  |   |- 頼高 (東根) |- 光直 (楯岡)
  |   |- 頼種 (鷹巣) L 義睦  
  |   L 満長 (上山)
  |- 氏直 (黒川)
  |- 義直 (高擶)
  |- 兼直 (蟹沢)
  L 兼義 (泉出) -- 満久 (清水)

 

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